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塚口駅(つかぐちえき)は、兵庫県尼崎市東塚口町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である。 アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。かつては、福知山線の支線に当たる尼崎港線の起点でもあった。 == 歴史 == 当駅が所属する福知山線は、長年にわたって単線・非電化という低規格の路線であったため、ターミナル駅である大阪駅からさほど離れていない〔当駅 - 大阪駅間の営業キロは10.2km、所要駅数は普通列車で3駅(1997年8月31日までは、普通を含む全便が塚本駅を通過していたため、2駅のみ)である。〕割りに利便性は劣っていた。改札も列車別改札で行われていた。 しかし1981年の複線電化を機に、橋上駅舎が整備されるなど近代化が進み、ようやく大都市近郊駅としての機能を果たすようになった。 1984年までは、尼崎港駅へ至る支線(通称・尼崎港線)が当駅 - 尼崎駅間で分岐していた。開業当時はそれが本線とされ、尼崎港方面へ向かう線路が直線的に敷設(現在でも路盤の跡が残っている)されていたのに対し、現在の本線は一旦西にそれて大きく回り込むような線形となっている〔JR東西線の開業以前は接続線は上りと下りでややルートが異なり、それぞれ東海道本線の列車線(外側線)に接続していた。〕。この迂回ルート上にあるカーブで、2005年4月25日に脱線事故が発生した〔なお、列車が突っ込んだ線路脇のマンションは、上り接続線跡と下り接続線(現在の本線)に挟まる位置にある。〕。 東海道本線の東京駅 - 大阪駅間で運転されていた長距離特急『つばめ』や『はと』は、大阪駅に到着した後に当駅まで回送された上、当駅で機関車を編成の後端に付け替えた後、宮原操車場へ入り方向転換を行っていた。これは各列車の先頭に展望車があり、展望車側を先頭にする必要があったためである。こういった運用に対応すべく、1956年11月のダイヤ改正を機に尼崎駅 - 当駅間は早々に電化された。その後も1978年10月のダイヤ改正まで、宮原操車場への回送の際の時間調整のため、大阪駅から一部の特急が当駅まで回送されて運行まで待機していた。同改正をもって電気運転は一旦廃止されたものの、電化設備はそのまま残され、1981年の線内電化の際に再利用された〔線内電化までは、現在の阪急神戸本線との立体交差部の下まで架線が張られ、以北は非電化であった。〕。 また、かつては貨物取扱を実施しており、駅東側の現在の留置線のあたりに貨物取り扱い線と貨物ホームが設けられ、近隣の森永製菓や三菱電機の工場からの貨物を主に取り扱っていた。駅北側には三菱電機への引き込み線があり、蓄電池式の機関車が入れ替えを行っていた。また引き込み線横の側線には、1980年代半ばまで、廃車となっていた国鉄シキ400形貨車が長らく留置されていた。貨物取扱量は多く、駅の北側と南側の両方には信号所が設置されていた。 阪神・淡路大震災が発生した折には、発生翌日から東海道本線の尼崎駅 - 甲子園口駅間が復旧するまでの数日間のみ、大阪方面からの列車の一部が当駅で折り返していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塚口駅 (JR西日本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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